平和な家庭で育ちました
私は、会社員の父と専業主婦の母の、長女として大阪で生まれました。
3歳下に弟がいて、4人家族。
贅沢できるほどでもありませんでしたが、かと言って食べるものに困ることもなく、両親は仲が良く、平凡だけど幸せに暮らせていたと思います。
父は平日会社員でありながら、週末は近所の子どもたちに書道を教えていました。
書道とマラソンは、父が若い頃からずっと地道に続けていることです。
実直で物静かな優しい父。
子どものころから私も弟も、父が大好きでした。
一方母は、典型的なB型。
ここであえて血液型を書くのは、一般的に言われるB型の特徴を全部持っていたからです。
明るい性格でおしゃべりが好きなので、家族のムードメーカーでした。
ただし母の「こうじゃなきゃいけない」「これはダメ」という圧力が強くて、幼い頃の私は母親の顔色をうかがいながらおとなしく生活していました。
いわゆるミニマリスト的な考え方で、一つ買ったら一つ捨てる、食事が終わったらテーブルには何も置いておかない、床にも何も置かない、などのルールがたくさんあり、家の中はいつもきれいに片付いていました。
昔はミニマリストなんて言葉がなかったし、私はただの変人だと心の中で思っていました。
そのことを書いた記事はこちらです。
一般的に見て、おそらく幸せな家庭の部類に入ると思います。
両親が離婚するとか浮気するとか、いつも喧嘩しているなどの事件性は全くなく、波風の立たない家。
おだやかでいつも平和でした。
旅行したり、登山したり、食事したり、行動するのは常に家族単位。
楽しい思い出はいつも家族一緒でした。
考えたら、とても愛されていて、幸せだったんですね。
子どもの頃にはわからなかった。
平和で穏やかな家庭がいかに難しいか。
自分は、元夫とはうまくいかず、5年前に離婚しました。
子どもたちに、平和な家庭を作ってあげることができませんでした。
久しぶりにアルバムを見ると、ほほえましいです。
弟も今は二児の父。
父に似て真面目で几帳面で面倒見が良く、母に似て明るい性格です。
両親の近くに住んでいるので、何かあったときには弟が動いてくれています。
現在、母は認知症の症状が出ています。
あんなに口うるさかった母が懐かしく思えます。
色んなことがわからなくなってきている様子を感じるとせつないです。
83歳の父がまだ元気なので、78歳の母の面倒を見ています。
この先、父にだって何があるかわからないので、もしかしたら大阪に帰るという選択をするかもしれない。
近々、大阪に帰省することを計画したいと思っています。
会える人には、会える時に会っておきたい。
いつでも会えると思っていたら、一生会えなくなることもあるから。
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