ゴミ捨ての時にふと考えたこと
年末に思いがけない体調不良と出費
ここ数日、喉の痛みがひどくて、飲食すべてが苦痛で、唾を飲むことすら痛くて耐え難いという状況です。
今、近所の診療所はどこも開いていなくて、開いていても予約で埋まっていると断られたり。
そこで、最近時々行っている少し遠方のクリニックのオンライン診療の予約をしました。
オンラインでは、症状を言うだけで、喉を見てもらえるわけでもないし、簡易的なものですが、それでも医師に話すと安心します。
なんとかオンライン診療が終了し、薬を処方してもらいましたが、近所の薬局で受け取れるはずが、行ってみたら張り紙がしてあり、なんと薬局も年末なのでお休み。
しかもお正月明けまでロングなお休みに入ってしまったようです。
クリニックの方でもそれに気づき、連絡をくれて、薬は郵送してもらうことになりました。
次女の発熱から自分の喉の痛みまで、年末にバタバタとそんなことが起こり、お金は羽が生えたように飛んでいってます。
喉が痛くないって幸せなこと
今朝、ゴミステーションにゴミを捨てに行きながら、ふと思いました。
喉が痛い、というだけで何もやる気が起きず、何も楽しめません。
夜寝ている時だけ、唯一痛みを忘れらて、起きているときはずっと痛い。
だけど、普段は喉の痛みがないのが当たり前で、喉が痛くないなんて幸せ!なんて思ったことがありません。
だけど、喉が痛くないって幸せなことだったんだ、と思いました。
いや、当たり前だし、喉に限らずなんでもそうですけどね。
どこにも不調がないって、幸せなことだったのです。
当たり前のことではないのだと思います。
不調もうまく受け入れる
私は子供の頃から大きな病気もしない健康優良児でした。
だから、ちょっと熱が出たり、具合が悪くなると、そういう状況を受け入れられないんですよね。
逆に、子供の頃から体が弱い人はきっと、それがデフォルトなので、その中でできることをやろうとするんだと思います。
「それも自分だ」と受け入れて、うまく不調と付き合っていく、というか。
私のように、デフォルトが健康!という場合、健康を阻害するものが登場すると、たちまちアウト。
だから、歳をとって色々不調が出てくると急に不安になったり弱気になったりするんじゃないかと思います。
でも、もうこの年齢で、どこも不調がない方がおかしいぐらい、長年付き合ったこの身体はあちこち不調が出てきます。
風邪とかコロナとかインフルエンザとか、一過性のものではなく、常にどこか不調な状態が続くことってあると思います。
それも、やっぱりうまく付き合っていく必要があるんでしょうね。
目の前の幸せを確認してみる
我が家は少し高台にあるので、遠くまで見晴らせる場所があります。
ゴミを捨てに行ってふとこれを見たとき、あー、この風景好きだなぁ、と思いました。
そういう場所に今住めていることって幸せなことだなぁ、としみじみ思ったのです。
ゴミを捨てて、家に戻ると暖房が効いていて、暖かい。
当たり前ですが、光熱費を自分で払っているからです。
光熱費も払えないような収入だと、寒い生活をしていたはず。
光熱費が払えている自分がすごい!って思う人もいないと思いますが、私は生まれてから離婚するまで、自分の稼ぎで光熱費を払ったことがなかったのです。
でも、数年前から自分の収入だけでやってきて、なんとか普通にお給料をいただいているので、生活が成り立っています。
それは、私にとって、すごいことなのです。
商品券でステーキを奮発
というわけで、喉が痛いおかげで、当たり前にある幸せについて考えられたので、無駄な痛みではなかったわけです。
そういえば、先日ワイモバイルを契約したら2万円の商品券をもらったので、それでおせち料理の材料を買おう、と近所のスーパーに行きました。
商品券がある、というだけで気が大きくなり、値段を見ずに買い物をする、ということを久しぶりにやりました。
それで冒頭の写真です。
ちょっと元気になった娘に、美味しいお肉を食べさせてあげよう、と普段は絶対に買わない(買えない)ステーキを購入。
最近、鶏のムネ肉ばっかりだったしなぁ(笑)。
明日には、娘は京都のおばあちゃんの家に帰省します。
私は、年末年始、自宅で一人で過ごします。
喉の痛みがあるので、人と会うわけにもいかないので一人です。
でも、喉以外の身体は元気なので、おせちを少しだけ、自分のために作ります。
喉が痛くても、ゼリーだけは食べやすくて、何度も作りました。
ゼリーがあってよかった。
かんてんぱぱサンキュー。
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