コンタクトレンズをやめてメガネにしてみる
最近は、コンタクトレンズをしないで、一日中メガネで過ごしています。
理由は、老眼。
コンタクトをつけるとかなり遠くがよく見えて快適です。
以前がそれが全てで、コンタクトさえつければ一日中何も支障なくなんでも見えて、コンタクトなしの生活は考えられないと思っていました。
夜、お風呂に入る時にコンタクトを外して、翌朝目覚めるまではコンタクトをせず、必要に応じてメガネをつける。
それが長い間の習慣でした。
ところが、少しずつそれが快適じゃなくなってきました。
目の前のスマホの文字が見えない。
本が読めない。
手帳に文字が書けない。
最初は、なんとなく。
じょじょに、それがひどくなり、だんだんその状況が不快になってきました。
私の視力は右が確か0.1あるかないか。
左はそれより少し良いくらい。
コンタクトもメガネもないとパソコンの文字は見えない。
だけど、コンタクトしていると仕事で何かメモしたいと思っても手元の手帳に書く自分の文字が見えない。
特に、コンタクトの度数はかなり遠くが見える設定なので、よけいに近くが見えない。
試しに、メガネをかけて仕事をしてみました。
私のメガネは夜家で過ごす時だけにつけるものだったので、コンタクトより度数は低めに設定。
これでパソコンは十分見えるし、手元をよく見る時にはメガネを外せばOK。
これが、ものすごくよく見える。
子どもの頃、そんなに近づけると目が悪くなるよ、とよく親から言われるほど、私は文字を書くときの姿勢が悪く、ものすごく文字と紙に顔を近づけて書いていました。
だけど、いつの間にかそれだと見えなくなって、やむを得ずものすごく姿勢良くしないといけなくなっていました。
私は子どもの頃から文字を書くのが大好き。
先生が黒板に書いた文字を、丁寧にノートに書くことが大好きでした。
本当に勉強ができる子は、要点だけを殴り書きして、丁寧にノートを取ることほど無駄なことはないと言われますが、確かにその通り。
私はその無駄なことが大好き。
丁寧に書いた自分の文字を見て、なんとも言えず幸せな気持ちになっていました。
よく、クラスの友達にノート見せてと言われて、きれいだと褒められていました。
でも、決して成績優秀ではありませんでしたよ、もちろん。
それは大人になっても変わらず、仕事のあれこれをメモするのが大好き。
仕事の場合は、書いておいてよかった、ということも多くて、必ずしも無駄ではないのです。
手帳が大好き。
今年はこの2冊を、仕事の時に酷使していました。
※能率手帳ゴールド(右)革の手触りがとてもよくて、紙質も書きやすくて3年連続で使っています。
※ニトムズSTALOGYノート(左) シンプルで書きやすいので、あらゆるメモはここにまとめています。
そんな手帳好きなのに、文字を書くことが苦痛になるほど見えないというのはつらいものです。
メガネだと、外したりかけたりが自由なのです。
そんな当たり前のことに気づいたのは、職場の70代の方が、目の前の文字を見る時にメガネをはずしていたのを見た時です。
初めは、コンタクトをしないという選択肢が私の中になかったので、それを見ても私には無理だなとおもっていたのですが、在宅勤務の時にやってみたら、とても快適でした。
コンタクトをつけて遠くを見る、近くを見る時は老眼鏡をかける。
これだと、自分の視力のためにコンタクトと老眼鏡を両方用意する必要があります。
だったらメガネひとつで良くない?
だんだんそう思うようになりました。
今持っているメガネはJINSで買った、安いものです。
確か5,000円ぐらいだったかな。
もう少し良いものを買ってもいいかな、と思います。
フレームが少し印象の違うものをそろえて、おしゃれを楽しむのも良さそう。
ワンデイのコンタクトで毎月6千円ほどかかっているので、これをやめたら節約にもなるかなとも思います。
コンタクトのことを書いた以前のブログはこちらです。
そんなに遠くをくっきり見る必要はないかな、と最近は思います。
見なくていいものまで目に入ってくるのはどうなんでしょう。
時々、メガネもコンタクトもしないで外を歩くことがあります。
そうすると、歩いている人の視線とか全く気にならない。
ぼんやりとしていて、どこを見てるのか、どんな雰囲気なのか、全くわからない。
でも、信号は見えるし、段差も見えている。
たまにはそんな状態で歩いてもいいのかも。
ただ、団地の階段にある虫の死骸とかが見えなくて踏みつけてバリッと不快な音がすることがたまにありますが。
なんでもはっきりすればいいというもんでもない。
ぼんやり見えているぐらいがちょうど良い。
目に入る緑なんかを見ていたら、少し視力が回復するかもしれないし。
最近は、メガネを通してそんなふうに感じるようになりました。
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